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婚礼印刷物の歴史→戦前の婚礼印刷物
戦時中に多くの見本が焼失し大正ロマンあふれるデザイン物はほとんど残っておらず、社史の記事として残存するのみになりました。幸い昭和初期の物がいくつか見つかっておりますので、ここではその一部を掲載しその当時の印刷物のデザイン、印刷技術、文面にある背景等を紹介致します。


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この昭和12年7月7日に蘆溝橋で日中両軍が衝突しいわゆる支那事変が勃発した。当時は返信ハガキを封入する習慣がまだなく、送付する日時もマチマチであった。また、住所も簡潔に記されてます。ちなみに上記住所は阪急電鉄が宝塚線を開通 させた折り開発された高級ニュータウンです。

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昭和13年、この年の4月1日より国家総動員法が公布され日本は戦争に突入していきます。当時はまだ華族、士族、平民という言葉が生きていた時代でこの婚礼は水野子爵令嬢の結婚式の招待状です。同ホテルとあるのは大阪中ノ島のリーガロイヤルホテルの前身の新大阪ホテルのことです。

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これは招待状に同封される挙式案内付箋で、昭和14年に印刷されたものです。当時は印刷機材が窮迫し苦労して木版で製作した為、文字が不揃いになっているのがわかります。

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昭和11年この年の2月26日皇道派青年将校がクーデターを起こしました(いわゆる2・26事件です)上記のご両家の次第書はキリスト教式で内面には賛美歌や聖書の言葉が印刷されており敬虔なクリスチャンであったことを忍ばせます。

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このご両家の披露宴次第は越前から取り寄せられた和紙に印刷され中面には、両家の挨拶、当時のメニュー、芸者衆の踊り演目が印刷されております。

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これは当時の披露宴の配席図ですが37卓あります。戦前ホテルで結婚式を挙げることができたのは限られた人たちだけだったのでしょう。このご両家の招待席はいったい何人だったのでしょうか‥‥。

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これは結婚式後、新郎のお父様よりの礼状です。文章の書き出し部分でこの年の9月1日に第二次世界大戦が勃発したことを想像させます。また、末尾の住所からこの渡邊家が裕福であったことが判断されます。

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